中小企業診断士を目指すtakahiroのブログ

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志村けんさんを偲ぶ

プロフェッショナルという言葉に憧れを抱いている。
一つのことの突き詰め、その道のプロになるためには、他の邪念を吹き払い、そのことだけに集中して取り組んできたからこそ「プロフェッショナル」という言葉にふさわしい人物になるのだと思う。
自分の尊敬する人の共通点は、とにかくプロフェッショナルだということだ。
それは自分の広くて浅いだけで、その道を突き詰めることに根気がない自分への戒めでもある。
人生のすべてをそれに打ち込めるということの羨ましさや嫉妬もあるのかもしれない。
それだけ、プロフェッショナルな人に惹き込まれてしまう自分がいる。


その中の一人がコメディアン、志村けんさんだ。
まさにプロ中のプロとでもいえる。
その志村さんが先日新型コロナウイルスによる肺炎でこの世を去った。
報道の際は、いつか東スポの記事にあった「志村死去」というフェイクニュースと同じ感覚で「嘘つけ!」と思った。それだけ、志村さんは茶の間では普遍的な存在であり、永遠の喜劇王だった。


私が幼い時、土曜日だけ9時まで起きていられるのが許され、それは「8時だヨ全員集合!」を観るという理由だった。
人を笑わすことがこんなにも素晴らしいと思ったことがなかった。
もちろん、月曜日の小学校の朝の話題は全員集合の話題。
観てなければ、会話にはついていけないくらい、全員が観ていたとでも言ってよい。
そんなお笑い番組を観て育ったことと、自分の人間としてのコミュニケーションの礎が作られたのもドリフターズからからもしれない。そしてその中でひと際笑いの中心であった志村さんであった。
その後の「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」「バカ殿」「だいじょうぶだぁ」はもちろん観てきたし、
漫才や大人向けの笑いが台頭してきても志村さんの番組はいつも観てきた。

なぜか?何も深く考えず、気楽に観れるからだ。これはハッキリ言ってすごいことだと大人になって気づいた。
体調が良くても悪くても、気楽に観て楽しめる番組が志村さんの番組だった。
大人になってからも志村さんの舞台「志村魂」は何度か観劇することができた。
生での迫力はもちろん、全く期待を裏切らないその構成にいつしか尊敬する人間として見ていた。
プロとしての裏を見せないながらも、自分も大人になるとその裏側を垣間見れたとき、
プロフェッショナルなコメディアンだと心から尊敬するようになっていた。

70歳まで現役で国民を笑顔にしてくれた志村さん。
今年放送された「だいじょうぶだぁ」でもネットニュースでは敬意と感謝のコメントが多く寄せられていた。
新型コロナウイルスが蔓延し始めていた時だった。
「こんな時にこそ、志村さんのお笑いが疲れた心を癒してくれる」
こんなコメントがあった。本当にそう思う。それなのに・・・・・

まさか志村さんが感染するとは夢にも思わなかった。そしてあっという間に逝ってしまった。
ただの一ファンではあるが、家族を亡くした時のような喪失感だ。
それだけ自分の中では大きく影響を与えてくれた人だったと思う。
今の自分があるのも志村さんのおかげ。自分という人間を作り上げたその細胞に志村さんの笑いが入っている。

本当にありがとうございました。

そして、自分も志村さんのように、知らない人にまで影響を与えられるような人間になりたいと強く思いました。
自分の人生、精一杯頑張って、いつかプロフェッショナルだと評価してもらえるようになりたい。

合掌。